答え:その前に、考えてほしいことがあります。
正雲寺には毎日たくさんの方がお見えになります。お一人お一人とのご縁を大切に思い、私ども僧侶は必ず笑顔でお迎えするようにしています。皆さまも笑顔を返してくださるので、気持ちの良い、幸せな出会いが実現します。笑顔の効果についてはよく分かっているつもりの私ですが、夕方、居宅に戻ると、疲れもあってか、仏頂面になることがあります。昼間の笑顔はどこにいったのやら。おそらくは家族への甘えがあるのかもしれませんね。他人に笑顔を見せるより、家族に笑顔を見せることの方がずっと難しいようです。「愛は近きから」と言います。実際、家族の幸せをないがしろにして、家の外に幸せを求めようとする人々が多いようです。家族の幸せのためには、乗り越えなければならない面倒があるからでしょう。
「面倒」の一番は、「許す」ことです。いつも一緒にいる家族の欠点はよく見えます。これに対して、深い付き合いのない他人の欠点は見えず、表面上の美点だけが目に映ります。家族の欠点を見るより、他人の美点を見ている方が気持ちいいのです。家族の幸せを考えるなら、欠点を許す気持ちがなければなりません。表面上の欠点は許し、表面に現れない内にある美点に気付いてあげることが大切です。おならやげっぷを繰り返すデリカシーのないお父さんでも、家族のためなら、辛いことのすべてをのみ込んで毎日会社に出かけます。怒ってばかりでヒステリー気味のお母さんでも、家族のためなら、一日も休まずご飯を作り続けます。本当に大切なものは表面には出てきません。内にある美点は、心の目で見なければ見えないのです。お父さんとお母さんの、自分はどんなに辛くても、家族への愛は変わらないというのがそれです。
今年89歳になるカトリックのシスター渡部は「面倒だから、しよう」と言葉を標語に掲げておられます。普通は「面倒だから、しない」であって矛盾するようですが、これで正しいのです。私たちは利便性や速さを追い求めるあまり「時間のかかる面倒なことはしない」という考え方を当然と思っています。しかし、そのような考え方が通用しないものがあります。本当に大切なものほど、時間がかかり面倒なものです。愛・友情・寛容・謙虚・幸福。どれも私たちの人生に欠かせないものですが、時間をかけて努力しなければ手に入らないものばかりです。「面倒だ」と言っていては、一度きりしかない人生を放棄しているようなものなのです。
人の欠点を許す心を持ってください。そして人の内に秘めた美点に気付いてあげてください。決して口には出さないけれど、どんな人にも心の中で守り通している美点があるのです。まずは最も身近な人の欠点を許すことからです。他人を幸せにする前に、あなたの家族を幸せにすることを真剣に考えてください。その努力を惜しまない人なら、他人を幸せにすることもできます。人を幸せにするノウハウは同じなのです。逆の言い方をすれば、家族を悲しませるような人は、他人を幸せにすることはできないということです。
最後に、愛の定義をご紹介します。それは「自分がして欲しいと思うことを人にすること」です。これは、ブッダとキリストのお二人が、生きた時代も場所も超えておっしゃったことです。喜びが欲しいなら、人に喜びを与えることです。自分が傷つきたくないなら、人を傷つけないことです。あなたが幸せになりたいなら、人を幸せにすることです。嘘だとお思いなら、どなたか年長の方に聞いてみてください。人生の機微をお持ちの方なら、皆さん同じはずです。あなたが自分の欠点を見ないで欲しいと思うなら、人の欠点を見ないことです。自分の美点に気付いて欲しいと思うなら、人の美点に気付いてあげることです。これらの努力は、すべて「愛」で貫かれています。あなたが努力し続ける限り、あなたは愛に満ちた人生を送っているということなのです。なんと素敵なことではありませんか!
正雲寺副住職 無聖(むしょう)
http://shounji.or.jp