答え:今は泣けるだけ泣いてください。
子供の頃、私の家には吹雪(ふぶき)という名の犬がいました。私と吹雪はとても仲良しで、家族もうらやむほどでした。吹雪は私との時間を一秒も無駄にしたくないという様子でいつも私のそばにいました。そんな吹雪を家族は「この子はどこか生き急いでいるね」と言うのでした。その言葉のとおり、吹雪は4歳でこの世を去りました。鼻にガンが見つかったのです。顔の半分が陥没し、痛みのせいで体をふるわせる吹雪。私がそばに寄ると、吐血しながらも起き上がろうとします。安楽死のための薬を投与された時、最後の力で頭を上げて私の顔をじっと見つめました。その時の吹雪の目を今も忘れません。私は毎日泣き続けました。当時「ペットロス」という言葉はまだありませんでしたが、私はその典型だったと思います。もう30年も前のことです。
しかし今は違います。吹雪のことを思うと穏やかな幸福感に包まれます。悲しみが消えたたわけではありませんが、私の中で悲しみと幸福がうまく同居しているのです。今なら分かります。一方を好んで一方を嫌うことなどできません。どちらも吹雪だからです。吹雪を丸ごと愛する心が一層強くなったことで悲しみを見直すことができるようになったのでしょう。
深い悲しみを癒すのは愛です。私が得た教訓は、吹雪のすべてをありのままに受け入れて愛することでした。やせ細った体も吹雪が流した血もわずか4年の命もすべてが吹雪の一部です。そう思える時、悲しみは悲しみでなくなります。私が勝手に「悲しみ」と決めつけていたのです。「すべては私の心しだい」。これが私の気づきです。少しでもお役に立てば幸いです。
正雲寺副住職 無聖(むしょう)