答え:「水子」ではなく「我が子」として見てください。
「水子のたたり」などと言って不安をあおる人がいます。本当にたたりというものがあるのでしょうか。不幸が続くのは水子のせいでしょうか。せっかくのお尋ねですが、私には分かりません。
ある人がお釈迦様に「人は死んでも魂は生き続けるか」と尋ねたところ、お釈迦様は「一生考え続けても答えが出ないようなことを思い煩うな。人生にはもっと考えなければならないことがある」とおっしゃいました。私はこのお言葉に従います。同時に、私は水子について一つの信念を持っております。私自身が正しいと考えることです。それは、水子は人を恨むような悪の心を持たない純粋な精霊だということです。このように言うと、水子は善の心だけを持った精霊だと思われるかもしれませんが、それも違います。人の本性は善でも悪でもありません。その中間です。善い境遇にあれば善の心に傾き、悪い境遇にあれば悪の心に傾くのが人の性です。どちらの境遇にもない水子はその中間と言えます。これゆえに「純粋」と申し上げたのです。
善でも悪でもない水子ではありますが、私は第三の心があるように思っています。それは親子の心です。親は子を愛し、子は親を慕います。親子の心は善悪の彼岸にあって、両者を固く結びつけています。子はどこまでも親の愛情を待っています。恨みごと一つ言わずに、ただ待ち続けているのです。子の思いに、親が愛情をもって応えること。この関係以外にはありません。そこにいるのは水子ではなく我が子です。我が子を「怨霊」のように言うのはやめてください。ただ我が子の幸せだけを願ってご供養をしてあげてください。我が子の幸せこそ、親の幸せなのですから。
ご質問には、自分の幸せを第一に考えるあなたのエゴが見え隠れしています。そもそもそのような考え方では真の幸せを得ることはできません。あなたが不幸続きだと思うのも、そこに本当の原因があるようです。真の幸せは、自分ではなく人を幸せにするところから始まります。自分の幸不幸を基準に考えるのではなく、我が子の幸不幸を基準に考えてください。
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正雲寺副住職 無聖(むしょう)