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仏門の安心感はどこから来るのでしょう

仏門には独特の居心地の良さがあります。何とも言えない安心感です。私は、この安心感はどこから来るのだろうと考えることがあります。正雲寺が静かな自然の中にあるからでしょうか。ご縁ある方々と善い関係を築けているからでしょうか。もちろんそれらもあるでしょうが、一番は、お釈迦様が私たちの心にある苦しみを決して否定しないからだと思います。

「そんなのは苦しみじゃない」「心が弱い」「現実から逃げている」。こういった言葉をよく耳にします。私も言われたことがあります。私はこのように否定されると、苦しんでいることが悪いことのように感じてしまいます。こうした言葉で傷つきたくないので、誰にも言わずにいようと思ってしまいます。皆さんはいかがでしょうか。苦しいのに苦しいと言えない。それがまた苦しみを深めます。しかし仏門では、苦しいことは苦しいと素直に言うことができます。お釈迦様は苦しみを否定する言葉は一言も言いません。ただ「よく来たね」と仰るのです。

このお言葉が示すように、仏門は昔から心に苦しみを抱く人や社会で生きづらさを感じている人を迎え入れて来ました。これは言い換えると、救いを必要としない人々には縁のない存在だということです。多少の苦しみはあるにせよ、自分の努力によって解決し、社会の一員として調和し幸福を感じられる人に仏門は必要のないものでした。仏門は、お釈迦様の時代から今日まで、自分で解決したくても解決できずに苦しんでいる人のためにあります。仏教を必要としていない人に仏教を強いることはないのです。

仏門に入門すれば、苦しみが魔法のように消えるわけではありません。お釈迦様のような偉大な先生がいて、手を取って導いてくれるわけではありません。仏門では、先輩と後輩の違いはあるにせよ、誰もが同じように苦しみを抱いて生きています。「お坊さんは苦しみとは無縁では?」と思われるかもしれませんが、それは大きな誤解です。お悟りになったお坊さんは別ですが、修行中のお坊さんなら誰でも苦しみと向き合っています。そもそも仏教の目的は苦しみを消すことにあるからです。ですから仏門に入門するとは、同じ目的を持った仲間と一緒に支え合いながら修行をするということです。一人で修行するよりは心強いはずです。

本当はできるのに力を出し惜しみしたり、面倒くさいなどと言って怠けたりする人は、何をやっても苦しみが消えることはありません。もしあなたが懸命に生きていて、それでも生きづらいと思うなら、私は現実から逃げてもいいと思います。その現実が本当に正しいものなのかを見直す時間が必要です。英気を養って再び社会に出ていくのか、それとも仏門に残って心の平和を求め続けるのか、新しい選択が訪れるのを待てばいいのです。こうした寛容さも仏門の安心感につながっているように思います。

会津本山 住職代理 無聖(むしょう)