数ある修行の中で、私が自分にとって特に重要だと考えている修行は「忍耐」です。忍耐とは、怒りを鎮めて苦しみに耐えることです。『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』というお経があります。お釈迦様がそのご臨終で説いた最後の説法と言われています。まさしく遺言ですね。このお経の中に忍耐についての記述がありますのでご紹介します。拙い意訳ですがお許しください。
修行僧たちよ、
たとえ刃物で体を切り刻まれても、
怒ってはならない。
固く口を閉ざしなさい。
怒りの言葉を吐いてはならない。
もし怒りの心をそのまま放置すれば、
今までの修行の成果は台無しになり、
これから先の修行の妨げともなる。
どれだけ戒律を守り、
どれだけ苦行を重ねたとしても、
忍耐の功徳には及ばない。
忍耐をよく実践する人は、
大人物となるであろう。
たとえ人から罵(ののし)られても、
むしろ喜んで受け入れるなら、
その人は智慧の完成した人である。
怒りは様々な善行を無価値にし、
築き上げてきたものを破壊する。
今の人も未来の人も
怒る人に対しては
誰も相手にしない。
怒りは燃え盛る炎よりも激しい。
常に防護して、
心に入れないようにしなさい。
怒りは、大切にしているものを
すべて焼き尽くすからである。
この教えを説いたお釈迦様もご自分の一族が他国によって滅ぼされるという経験をなさいました。愛する者たちが殺されるのを黙って見ているより他なかったのです。その怒りと苦しみはいかばかりでしょう。しかしその中にあってもお釈迦様は「怨みに対して怨みで報いても怨みが消えることはない。怨みを捨ててこそ怨みは消える」と仰いました。怒りや怨みを捨てて耐えることはとても難しいことです。前を走っている車が遅いというだけで怒ってしまう私たちです。そんな私たちにできるでしょうか。お釈迦様もその難しさはよく分かっておられます。ですから別のお経では「耐えることは最上の苦行」と仰っています。耐えることは確かに苦行ですが、本物の心の安らぎを獲得する(涅槃に入る)ための一番上等な修行だと仰っているのです。
正直に言えば、私はこの修行を途中で投げ出すことがあります。修行を台無しにしてしまうことがあります。その度にスタート地点に戻る気持ちです。ですから私の修行は遅々として進まないのでしょうね。皆様はいかがですか。そんな情けない私だからこそ、あえて忍耐を一番重要な修行にしているのです。もしもあなたが私について「怒らない人」という印象を持ったとしたら、それは私が心の中で必死に努力をしている証拠です。微笑みの下には激しく揺れ動く未熟な私がいます。
住職代理 無聖(むしょう)