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私が思う仏門の魅力

心の中の苦しみを消すにために私たちにできることは、自分で乗り越える力を持つか、または支え導いてくれる善良な人を持つかです。

どちらか一つでも手に入れられたら幸せなことだと思います。実際に多くの人がそうやって苦しみを乗り越えています。とても有り難いことですね。問題はどちらも手に入れられない人です。苦しみの中でさらに苦しみを深めていくような人です。孤独を感じ、生きづらさばかりが増していきます。時々「正雲寺に入門したい」と仰る方がいます。具体的なことは分からなくても、仏門に対して何らかの魅力を感じておられるのでしょう。

仏門では、苦しみを乗り越える力を養うことができます。そして支え導いてくれる善良な人もいます。正確には「善良であろうと努力する人」ですね。お釈迦様の教えという明確な指針がありますから、私たちはそれを学んで実践します。そうやって自力を養うことができます。また、皆が「心の中の苦しみを消す」という同じ目的に向かって修行していますから、同志としてお互いに支え合うことができます。

仏門に入れば、すぐに苦しみが消えるわけではありません。仏門では僧侶も寺人も誰もが同じ目的に向かって修行をしています。見方を変えれば、誰もが修行途中の未熟な人間だということです。未熟ですから愚かなこともします。人を困らせたり、傷つけたりもします。その度に私たちは懺悔(さんげ)をして再出発を誓います。この点では、俗世間とあまり変わらないかもしれません。

私が感じている仏門にしかない魅力とは、苦しみを作り出す愚かな自分を素直に認めて修行に専念できることです。お釈迦様の教えを学び、それを実践します。心の中の悪が邪魔をして実践できなかったり、実践しても失敗したりします。その度に反省してやり直します。実践できた時には、自分が一つ成長したことを喜び、支えてくれた人々に感謝します。毎日がこの繰り返しです。そして嬉しいことに、私たちはこの繰り返しに飽きることはなく、それどころか幸せさえ感じています。その上、時々ですが、自分の修行の成果が人の役に立つことがあるのです。その時の嬉しさはまた格別です。愚かな自分から目を背けず、修行によって自分を改善し、結果としてそれが人の役に立つ。俗世ではなかなか得られないことではないでしょうか。

正雲寺は山の中にあって、携帯電話はつながりません。テレビも映りません。自然も厳しくて楽に過ごさせてはくれません。それでも心静かに自分を見つめるには最適な環境だと思っています。もし支え合える同志がいるなら喜んでお迎えします。

住職代理 無聖