「言葉は凶器」という表現があります。たった一つの言葉が人を死に追いやることがあります。また発せられる言葉以外に必要な時に発せられない言葉もまた凶器となります。助けが必要な時に沈黙したり無関心でいることがそうです。いずれにせよ、凶器となり得る言葉、すなわち悪言は私たちが考える以上に私たちの心に巣くっています。仏教では大まかに以下の四つを挙げています。
- 妄語 うそ、でたらめ
- 両舌 陰口、二枚舌、二人の人に違うことを言って仲違いさせる言葉
- 悪口 あしざまにののしる言葉
- 綺語 真実にそむいて、巧みに飾った言葉
人が口にしてはいけない悪言があります。いったん発せられると取り返しがつきません。後からどんなに謝罪しても相手の心に刻まれた悪言はなかなか消えません。死ぬまで消えないこともあります。たとえその時は許しても「この人は怒りに任せてこんなにひどい言葉を吐く人だ」という印象はずっと残ったままです。
仏門でも悪言と無縁ではありません。未熟な修行僧ほど悪言を持っていますが、相手を許すことも修行ですから大事に至ることはまずありません。しかし世間では仲間でもない他人を許すことは難しいでしょう。こちらが黙っていると口撃をエスカレートさせる人もいるほどです。死傷事件や紛争に発展することもあります。正雲寺に寄せられるご相談のほとんどが悪言に関連しています。
皆様に言葉の恐ろしさを今一度考えていただきたいと思いこのブログを書いています。もちろん私自身が発した取り返しのつかない悪言を思い返しながらです。恐ろしいことに、人は悪意がなくても無意識に人を傷つけることがあります。言葉は心の表れです。私たちの心には人を傷つける悪いものがあるのです。それは、謙虚になって自分の心を見つめ、一所懸命に取り去る努力をしなければなくなりません。努力どころか自覚もない人は人を傷つけ続け、罪を量産しているのです。ご自分の言葉の恐ろしさを知って、感情に任せて口を開くのではなく、それがどれほど人を苦しめるのかをご自分の身に置き換えて考えてください。慎重に慎重を重ねても悪言は消えません。毎日の努力目標にしている僧侶でさえ悪言を消すことはできません。この厄介な悪言が私たちの人生を大きく狂わせ不幸にします。その恐ろしさをどうか知ってください。合掌
住職代理 無聖