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もどき

「お前たちはもどきだ」

その昔、私たち若い修行僧は無学老師からこう言われて叱られたことがあります。「もどき」とは、にせもの、似て非なるものという意味です。「お前たちは僧侶を名乗りながら僧侶にあるまじきことをしている。にせもの僧侶だ」というわけです。その言葉に私はずいぶんショックを受けました。無学老師は修行僧の未熟を温かく見守ってくれる人でしたが、それは私たちが少しづつでも努力している時だけです。わずかでも修行を怠ければ、それを決して許さない厳しさがありました。昔のことですが、今でもその時の不動明王のような老師の顔が目に浮かびます。

そこまで老師を怒らせたのは、私たちの生活態度があまりにも仏道修行からかけ離れていたからです。見た目は僧侶でも実態はお粗末でした。つまらないことで言い争ったり、妄想で他人を誹謗したり、愚痴を言い合ったりしました。ある者は怒って暴言を吐き、ある者は慢心に走り、またある者は酒を飲みました。すぐにあきらめる者、自分の考えに固執し人の意見を受け入れない者、仏法をそしる者さえいました。今思えば、仏門にいてはならない者たちです。すべてが戒律に反しています。若い修行僧には仏道に対する漠然としたあこがれはあっても、実際にそれが何であるかを理解する力はありませんでした。それが分かるには時間がかかります。仏門では「若い」ということは「愚か」ということなのです。年を重ねて少しはましになったものの、ちょっと前まではひどいものだったのです。それ以来ずっと「もどき」という言葉は私の心に深く刻まれたままです。そこから抜け出すことは私の大きな課題になりました。

髪を落として袈裟をまとえば見た目は僧侶です。人は私を僧侶と呼ぶでしょう。しかし大切なのは私が私のことを僧侶と呼べるかどうかです。私のすることとしないことを知っているのは私だけです。誰も見ていないところで私が何を思い何をしているのかを知っているのは私だけなのです。善いことも悪いことも全てです。その私が自分で自分のことを僧侶と呼べるか。仏道はそれほど甘くはありません。仏の弟子を名乗るのは簡単なことではありません。ではいったい今の私は何者なのか? 実のところ、僧侶にもなれず、もどきにもなれない中途半端なハゲ頭といったところでしょう。真実はいつも私の思いの外にあります。

住職代理 無聖(むしょう)