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『修証義』第30節

『修証義:しゅしょうぎ』は道元禅師(1200-1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつあります。私のその時々の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】

月日は射られた矢よりも速く過ぎ去り、人の命は葉に落ちた露(つゆ)よりも脆(もろ)いのです。どんな手を使っても過ぎた日を取り戻すことはできません。欲望の赴くままに百年を生きるのは虚しいばかりです。ただ生きているというだけの憐れむべき骨肉でしかりません。しかし、たとえ百年を欲望の奴隷として生きたとしても、その中のたった一日でも行持したならば、その百年を行持したことと同じなのです。それどころか、来世の百年までも行持することになります。その一日の身命は、尊ぶべき命であり、尊ぶべき骨肉です。そのようなことができる私の身心なのですから、自分を大切にして、自分を敬うべきなのです。私たちが行持することによって、過去の諸仏の行持が実証され、諸仏の歩んだ道が私たちの目の前に開かれるのです。そうして、私たちの行持は未来の諸仏の種となり、未来の諸仏の行持となるのです。

【法話】

お釈迦さまの言葉にこうあります。「怠りなまけて、気力もなく百年生きるよりは、堅固につとめ励んで一日生きる方がすぐれている」。「怠りなまけて、気力もなく生きる」とは、つまり、欲望の赴くままに自分の利益のためだけに生きるということです。これは道元禅師の言う「憐れむべき骨肉」です。真の人間ではなく、欲望が骨と肉をまとっているに過ぎないというわけです。しかしもし、自分が欲望の奴隷であることを自覚し、そこから抜け出そうと励むなら、過去の諸仏たちが歩んだ同じ道を歩んでいるのです。それは正しくかけがえのない精進です。そこに至って私たちの身命は「憐れむべき骨肉」から「尊ぶべき骨肉」となります。過去、現在、未来の三世の中心は、今日一日を行持する今の私です。これをお釈迦さまは【天上天下唯我独尊】と言い表しました。過去を悔やみ、未来に思い煩うことなく、欲望の奴隷とならずに今日の一日を報謝と利他に捧げましょう。

住職代理 無聖(むしょう)

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【天上天下唯我独尊】
「てんじょうてんげゆいがどくそん」。お釈迦さまは、生まれてすぐに立ち上がり、天と地を指差しこのように語ったといいます(伝説)。「天にも地にも私一人が尊いのだ」と宣言したとも解釈できますが、釈尊一人のことではなく「私たち一人ひとりが尊い存在となりうるのだ」とも解釈できます。道元禅師は後者であると確信されていたのでしょう。その思いがこの第30節に集約されています。