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ペットを供養するということ

正雲寺では、ペットの供養をしています。お葬式をして、火葬をして、お骨を拾います。深い悲しみの中で、大切な家族を送る様子はとても厳粛です。人のお葬式と違いはありません。ペットを抱きしめる人、横たわるペットを優しく撫でる人、どの人の目にも涙があふれています。室内は感謝と優しさで満たされます。一部には「動物に対してそこまで必要か?」という意見があります。しかし、その様子を傍らで見ていると、そのような疑問は意味がないことがわかります。その場には、ただ「ありがとう」の心だけがあります。ペットの供養は、その心が形になったに過ぎません。この時、私たちが抱く「ありがとう」の心は純粋です。誰も損得を計算しません。ペットがくれた幸せ、見返りを求めない無垢な姿に、私たちは素直に喜びそして感動し、自然に感謝の心を抱くのです。

自分の中に、純粋な「ありがとう」の心があることを誇りに思いましょう。たとえペットにしか言えない「ありがとう」でも大丈夫です。相手が何であれ、純粋な感謝は私たちの大切な財産です。その心がどの場面でも最悪を回避してくれます。恨みや怒りに心を占領された時でも、自分の心のどこかに感謝があることを思い出してください。自分が恨みや怒りだけの人間ではないことを証明してください。もしその努力を怠ると、人は悪魔にも鬼にもなるのです。ペットとともに生きることは、心の浄化そのものです。悪に立ち向かう善を醸成することができます。そのことを、私たちはぼんやりと気づいていますが、確かな学びにはしていません。ペットの供養は、そのことに気づく良い機会です。

住職代理 無聖(むしょう)