
私がかつてそうであったように、若いあなたには理解できないかもしれません。しかし、私はあなたに自信をもって言うことができます。もしも心の根っこに「感謝」がなかったら、あなたの人生はとてもつまらないものになります。今はわからなくても、「感謝の心を土台にして充実した人生が築かれる」ということを知識として持っていてください。いずれ、それが本当だと気づく日が来ます。できれば、若いうちに気づけるといいのですが。
おそらくこの世の中で、感謝の心なしに成功している人はいないでしょう。先日、ある実業家にお会いしました。その方は、世界を相手にして、地位と名声と富を得た、いわゆる成功者です。私が「生きていく上で大切なことは何ですか」とお尋ねすると、その人は、即座に「どのような生き方をしようとも、感謝がベースにあることです」と答えました。
「ありがとう」とは、「有り難い」、「あり得ない」という意味です。損得勘定ばかりの世の中で、あなたには、見返りを求めず、ただ善意だけで、あなたを助けてくれる人がいますか。その人は、「有り難く、あり得ない」ほど貴重な人です。そのような人に接した時には、感謝せずにはいられないという気持ちが自然に湧き起こるようでなければなりません。そうならないなら、それはたんにあなたが人として未熟であり、愚かというだけです。誰でも、かつては未熟で愚かでしたが、人生の苦しみを経験し、もがきながら乗り越えていくことで成熟し、人と人との関係は、良くも悪くもあり得ないことだと実感し、学び、そして本当の「ありがとう」を会得するのです。言葉だけの薄っぺらい「ありがとう」とは違います。
あなたが正しく努力しているなら、人生の途中で人を恨むことになっても、また人から恨まれることになっても、やがては、その人に感謝する日が来ます。恥ずかしい話ですが、私は、若い頃、父親を恨んでおりました。二十年以上も父親とは絶交状態でした。そういうわけですから、私は若い頃から家族をあてにせずに、一人で生きていくことを考えていました。父親への反抗心が私の独立心を養ってくれたのです。もちろん、親の助言がありませんから、色々と間違いも犯しました。しかし今となっては、その間違いも良い人生経験です。決して良い親子関係とは言えませんが、その延長線上にしか今の私の仏道はなかったと思います。今私が感じている、仏門で生きることの幸福を思えば、恨みの対象であった父親は、実は大恩人であったということになります。また、私は人から恨まれることもありました。自分では、恨みを買うようなことはしていないと思っていても、相手の怒りはおさまりません。私から見れば理不尽だと思えることも、相手からして見れば確かな理由があるのです。人は、自分の思いたいように思いがちです。私は、人と人とが和合する素晴らしさを知りつつも、同時に人間関係を簡単に壊してしまう自我の悪質さを痛感しました。この学びは私の宝なのです。たとえ恨み恨まれることがあっても、それは正しい学びとなって自分を成熟させ、幸せを得るための種になり得ます。そうであれば、その人はもはや大恩人です。
楽しい思いをした時はもちろんのこと、苦しい思いをした時でさえも、感謝の心を持つことができます。結局は、幸せと不幸せ、楽しみと苦しみの間で生きる人間は誰でも、感謝の心一つに帰着するのです。その気づきに早い遅いはあっても、帰るところは一つです。逆説的ですが、心の根っこに「感謝」があるということは、正しく努力して、正しく生きている証しとも言えます。
あなたのおかげで、年の始まりに「感謝」について書くことができました。私にとって善いスタートになりました。ありがとう。
住職代理 無聖(むしょう)