
お釈迦さまの最後の説法をご紹介します。八十年の生涯を、今まさに閉じようとしている時に、弟子たちに残した最後の教え、いわば遺言です。『仏垂般涅槃略説教誡経(ぶっしはつねはんりゃくせっきょうかいきょう)』といいます。略して『仏遺教経(ぶつゆいきょうぎょう)』です。現代語訳ですが、原意にそって忠実に訳すことはせず、全体の意味をとって意訳することにしました。あくまで日常生活での実践に役立てていただきたいからです。文言の研究や思弁で終わらせず、自ら実践し、それによって福楽を得るところまで体験していただきたいと思います。主に出家者に向けた教えですが、部分的には在家者にも十分に届く内容です。なお、訳中の「悟り」は、「すべての苦しみから解放された大安心の境地」というほどの意味で使用しました。また、本来は「戒」のみですが、耳慣れないため、「戒律」としました。
【意訳】
お釈迦さまは、最初の説法の時にはアンニャーシ・コンダンニャを悟らせ、最後の説法ではスバッダを悟らせました。このように、そのご生涯において、ゆかりある者をことごとく悟らせ、すべてをなし終えた今、沙羅双樹の間に静かに横たわり、最後の時を迎えようとしておられました。その夜は、ひっそりとして寂しく、あたりは静まり返っておりました。お釈迦さまは、傍らの弟子たちに、教えの要を簡潔にお説きになりました。
「弟子たちよ、私の死後は、戒律を守り保ちなさい。戒律は、暗闇を行く人にとっては灯火であり、貧しい人にとっては財宝です。私の死後は、戒律こそが、あなた方の先生であることを忘れてはいけない。たとえ私がこのまま生きながらえたとしても、戒律があなた方の先生であることに変わりはありません。戒律を守り保つ出家者は、物品の販売や交易といった商いに携わってはいけません。また、田畑や家を所有したり、召使いを雇ったり、動物を飼ってもいけません。出家者は財産を持たず、人も動物も所有しないことです。人が燃え盛る炎を遠ざけるように、それらとは距離を置きなさい。草木を伐採し、土を耕して、生き物を傷つけてはいけません。薬を調合して人に売ったり、吉凶を占ったり、星占いをしたり、月の満ち欠けを測って日取りを決めるようなことをしてはいけません。それらすべては、悟りに資するものではないからです。欲を抑えてつつしみ、食事は午前中のみとし、適量を守って、清らかに生活しなさい。世間のことに関わったり、仲介をしたり、まじない事をしたり、長寿のための薬を調合したり、地位の高い人々と親しく交際してはいけません。これらもすべて、悟りの役には立ちません。心を奮い立たせて邪念から離れ、悟りを求めなさい。自分の罪過を隠して、私の教えではないことを語って、人々を惑わせてはいけません。私たちが受け取る四つの供養(飲食・衣服・寝具・医薬)については、必要量を心得て、多くを求めてはいけません。ましてや蓄えるようなことをしてはいけません。以上のことが、戒律を守り保つことの要点です。
戒律を守り保つことは、最も大切な生活目標であり、苦しみから脱け出すための根本の方法です。戒律を拠り所とすれば、心の安らぎと苦しみを滅ぼす智慧を得ることができます。それゆえに、弟子たちよ、清らかな戒律を守り保って、これらを破らないようにしなさい。戒律を守り保つ者には、先に述べた善い功徳があります。しかし、戒律を破る者からは、すべての功徳が離れていきます。ゆえに忘れずにいなさい。戒律を守り保つことは、大安心の境地を得るための第一の方法なのです」
無聖より
2月15日は、お釈迦様が亡くなられた日です。お寺では、涅槃会(ねはんえ)という法要を営みます。正雲寺では、この『仏遺教経』を誦むことにしております。私はこの経典を誦みながら、「これは大変なことになったぞ」と思いました。恥ずかしいことですが、このお経について、しっかりと勉強していないということに気づいたのです。正確に言えば、今の私の理解力でどこまでこの経典を読み解くことができるのかを試してみたいと思ったのです。つまりこのブログは自分のために書いているようなものです。『修証義』の時もそうでした。誤訳もあるでしょうが、どうぞご容赦ください。