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お悩み相談 「ぼやく寺」

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誰もが悩みを抱えています。小さな悩みから大きな悩みまで様々です。家族にも言えないことだってあります。それでもお坊さんには話せるかもしれません。人が困ること、人が悲しむことは決してしないのがお坊さんです。安心して話してください。世間の常識ではなく、お釈迦さまの常識で物事を見れば、いつもの景色も一変します。「ぼやく寺」には、偏見も差別もありません。気軽に集えるみんなのお寺です。

 

問い:水子とどう付き合っていけばいいですか?

答え:あなたのお子さんです。幸せにしてあげてください。

子供が幸せに思うことは何でしょうか。おもちゃやお菓子があること。動物園や遊園地に行くこと。友達と遊ぶこと。本人はあまり気付いていませんが、もう一つ、とても幸せな気持ちになる時があります。それはお父さんやお母さんが優しく笑っている時です。

水子ちゃんの存在が、いつまでもあなたの悲しみや苦しみの原因であってはいけません。「この子がいてくれたおかげで私は幸せになれた」と思えるように、水子ちゃんが自分の喜びとなるように努力してください。そうやってお父さんとお母さんに笑顔が戻れば、水子ちゃんは幸せな気持ちになります。あなたが一生、お子さんと仲良く幸せに暮らす秘訣は、水子ちゃんに感謝しながら、あなた自身が幸せになることです。

水子ちゃんのことでお悩みの方は、いつでもご連絡ください。なんでもお話しください。ご相談は無料です。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
メール: mushosan@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログを見た」と
書き添えていただけると幸いです。

会津正雲寺 0242-28-1110
大分正雲寺 097-583-4433
水子供養は、福島県と大分県にある二つの正雲寺で承ります。

問い:水子がいます。どうすればいいですか?

答え:お寺でお葬式をしてあげてください。

たとえ姿形がなくても、生きていた時間が短くても、命は確かに存在していました。その命が亡くなったのですから、大人と同じようにお葬式をするのは当然です。ではなぜお寺でなければならないのかというと、お葬式はお坊さんにしかできないからです。普通のご供養なら、自宅でどなたでもできます。霊前にお供物をお供えし、手を合せて心から祈ればそれでいいのです。しかしお葬式は違います。

お葬式というのは、亡くなった人を仏さまのもとに入門させて弟子にする儀式です。お葬式によって、その人が犯した罪は洗い流され、きれいな心ときれいな体になって仏さまのもと(「天国」「極楽」「お浄土」と呼び名は様々です)へ行きます。そこで他のお弟子さま達と一緒にずっと心穏やかに平和に暮らすのです。仏さまの弟子になるためには、「受戒」と言って16条の戒律(宗派によって異なります)を受けなければなりません。この戒律を授けられるのは、すでに戒律を受けているお坊さんだけなのです。お坊さんは生きている内にすでに戒律を受けて仏さまの弟子になり、厳しい修行を重ねています。いわば先輩、先生にあたるのです。

純粋無垢と思われる水子ちゃんでも、過去世までさかのぼれば、どこかで罪を犯しています。その罪を洗い流し、本当の純粋無垢になること。仏さまのそばでずっと安心して過ごしていただくこと。これが水子ちゃんのお葬式です。

水子ちゃんのことでお悩みの方は、いつでもご連絡ください。なんでもお話しください。ご相談は無料です。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
メール: mushosan@shounji.or.jp
LINE ID: mushosan
ご連絡の際「ブログを見た」と
書き添えていただけると幸いです。

会津正雲寺 0242-28-1110
大分正雲寺 097-583-4433
水子供養は、福島県と大分県にある二つの正雲寺で承ります。

問い:嫌いな人とどう付き合えばいいですか?

答え:三つの方法があります。

ブッダは人の苦しみを八つに分類しました。その中の一つに「嫌いな人と付き合う苦しみ」というのがあります。ブッダがこのように明言したのは、この苦しみが誰でも避けて通れない真理だからです。まず、この事実を自覚することです。そうすれば、その苦しみが理由で過剰に自分をおとしめたり、または過激に相手を責めることもありません。あなただけが特別なのではなく、誰もが経験することなのです。この事実を客観視して心を乱さないこと、これが第一の方法です。それからブッダは「嫌いな人とは付き合うな」と仰っています。しかし、嫌いな理由があなたのわがままであってはいけません。ブッダは、避けるべき人として次のような人を挙げています。

〇みだりに生きものを殺す人
〇他人のものを盗む人(不倫も同じ)
〇嘘が習慣になっている人
〇酒や薬物に溺れている人
〇他人の過ちを責め立てる人
〇自慢話をする人
〇他人のあらを探して批判する人
〇物惜しみして与えない人
〇すぐに怒る人
〇他人が信じるものを非難する人

こうした人々とは付き合わないことです。これが第二の方法です。しかし、多くのしがらみがある社会で「付き合わない」と決めることは難しいでしょう。相手は古い友人だったり、会社の上司かもしれません。それはブッダが生きた2500年前も同じだったようです。そこでブッダはより現実的な解決策として、心の中ではっきりと距離を置くこと、相手よりも高い境地に立つことをすすめています。つまり、そのような人々と付き合いながらも「自分は決して真似をしない、染まらない」と決意すること。そしてそのような生き方が不幸しかもたらさないことを智慧として理解し、それを不憫に思い相手を憐れむことです。これが第三の方法です。これが最も尊い方法です。それだけに難しいことですが、あなたの思いやりの心、慈悲の心が相手を間違った生き方から更生させるかもしれません。自分も他人も幸せにして、最後には「好きな人」とか「嫌いな人」といった区別そのものをなくすこと、これが最上最善です。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
http://shounji.or.jp

謙虚は勇気のあかし

仏教が説くのは人の心です。この世のことは、すべて自分の心が作り出した幻影にすぎないと説きます。私たちは自分の都合のいいように真実を曲げて解釈します。真実を真実として見ないのです。この過ちは、阿羅漢(あらかん)と呼ばれる最高位の聖者以外は誰でも例外なく犯しています。

仏教は「あなたが真実だと思っていることは真実ではない」と説きます。あなたが見ている世界の外に、あなたの知らない真実があるということです。それゆえ私たちは物事を断定的に見たり、断言してはならないのです。自分では真実を語っているつもりでも、実際は自分の思い込みを相手に押しつけているにすぎないからです。「ぜったい~だ」といった断言の多い人は、自分自身と自分の世界に対して執着心が強く、真実を求める心に欠けた人と言えるでしょう。そのような人は虚言が多いために結局は信頼を失います。

仏教は、私たちに一つの正しい生き方を教えてくれます。それは「いつも謙虚であれ」ということです。世間では、謙虚であることが時として弱気ととられたり、愚かと見られることがあります。その結果、自分を卑下することになりかねません。しかし真の謙虚は、そうではありません。自分の思い込みを客観的に自覚し、その心が発する言動を抑え、自分の外にある真実を見ようと努力することをいうのです。智慧と勇気があって初めてできることです。智慧によって、すべては自分の心が作りだした幻影だと自覚し、勇気をもって自分の殻を破り真実を探求するのです。そのような人を仏教では「真理をより所とし、他の何にも偏らない人」と呼びます。謙虚であることは、真実に生きることと同じなのです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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問い:幸せを感じられません。

答え:それは人を幸せにしていないからです。

努力なしに幸せになることはありません。では、どんな努力をすればいいのでしょうか。一生懸命に働いて地位やお金を手に入れることでしょうか。確かに一時的には喜びを得られるでしょう。しかし同時にそれらを失う不安も手に入れることになります。「いつかは失うかもしれない」という不安と隣り合わせの幸せは、本当の幸せとは言えません。不安や恐怖がなく、いつも平穏な心でいられること。これが本当の幸せです。そして本当の幸せを得る方法は一つしかありません。仏教では次のように教えています。

この世のいかなる幸せも
すべて人の幸せを願うことから生じる。
この世のいかなる苦しみも
すべて自分の幸せを願うことから生じる。

この法則は真理です。異義を唱えることはできません。人のためにと思ったことが、かえって自分の喜びになったというのは誰でも経験があるでしょう。多くの人がボランティア活動に夢中になるのもこのためです。「愛する人を幸せにしたい。そしてその人が幸せになってくれれば自分も嬉しい」。こんな気持ちは誰にもあります。無意識にこの法則を実践しているのです。実践して分かっているのに長く続かないのです。
今あなたが幸せを感じられないのは、あなたが自分だけの喜びや楽しみを求めすぎている証拠です。利己的な感情を抑えて、どんな小さなことでも構いませんから、人が喜ぶことを実践してください。笑顔を見せたり、優しい言葉をかけたり、席を譲ったり、荷物を持ってあげたりです。これが幸せになるための努力です。「幸せを感じられない」と思った時は、あなたが変わる時です。本当の幸せを獲得する最大のチャンスと言えるでしょう。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
http://shounji.or.jp

問い:私に生きる価値がありますか?

答え:あります。

さらに言えば、生きる価値は、あなたが決めることではありません。あなたの思いに関係なく、あなたがどのような人であれ、生きる価値はすでに決まっています。「真理」という言葉の意味をご存じですか。永遠に変わることなく、消えて無くなることもなく、あなたの思いに関係なく存在するもの。それは現象であったり、法則であったりします。例えば、人が生まれること、老いること、病気になること、死ぬことがそうです。どれも永遠に変わらず、あなたの思いとは無関係に存在する現象です。これが真理です。また、法則には次のようなものがあります。それは「すべての命は孤立していない。すべての命はつながり、互いに依存し合っている」です。

言い換えると「あなたは決して一人ではない。それが誰かは分からないけれど、あなたは確かに誰かに支えられて生きている。そして、やはり誰かは分からないけれど、あなたは確かに誰かを支えている」ということです。つまり、あなたが生きているおかげで、別の命が生きていられるのです。これがあなたの生きる価値です。これはあなたの思いとは関係ありません。真理によってすでに決まっていることです。人の力で真理を変えることはできません。あなたはただ真理のとおりに生きればよいのです。真理に抵抗するほど愚かなことはありません。一方で、あなたの思いどおりになることもあります。同じ「生きる」にしても、善く生きるか、悪く生きるかです。あなたが善く生きれば、別の命も善く生きられます。しかしもしあなたが悪く生きれば、別の命も悪く生きることになるのです。

「生きる価値があるか」などと思い悩むのは止めましょう。すでに答えは出ているのですから。それよりも、あなたの生きる価値をどうやって高めていくかです。あなたの可能性は無限です。自分で自分を否定しない限り、誰も否定することはできません。今からは「善く生きる」ことを考えましょう。困ったら私たちに連絡してください。一緒に考えましょう。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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