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シャンちゃん

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シャンは大分別院の看板娘です。保健所で処分される寸前にお寺にやって来ました。この世から消えていても不思議ではなかった命です。その命が今、お寺に安らぎと平和をもたらし、私たちを支えてくれています。命の重みを教えてくれるシャン子さんです。いつまでも長生きしてね。

問い:善悪の基準がわかりません。

答え:仏教の答えは明快です。

他人が喜ぶことは善、自分だけが喜ぶことは悪です。正不正についても同じです。他人が喜ぶこととは、人(生きとし生けるもの)を傷つけることはしない、そのために自分の身を慎むということです。仏教では10項目を挙げています。年始にあたり、皆さまの今年一年の抱負にしていただければと思います。全部は無理でも、「これだけは守り通すぞ!」というものを見つけてくださいね。

① 興味本位で命を奪わない。
② 人のものを盗まない。
③ 道徳に反した性欲を持たない。
④ 嘘を言わない。
⑤ 酒に溺れない。
⑥ 人の過ちを責めない。
⑦ 自分を誇り、人を見下げない。
⑧ もの惜しみしない。
⑨ 怒らない。
⑩ 人が信じるものを批判しない。

クリスマスおめでとう

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正雲寺にもサンタがやって来たー!

今日はイエス・キリストの誕生日です。私は仏教僧ですが、愛と真理を語るイエス様を、お釈迦さま同様に慕っています。そのご降誕を素直に喜びたいと思います。イエス様は、豪華な宮殿ではなく質素な馬小屋でお生まれになりました。このことは私に「静けさの中で、慎ましくあれ」と教えます。ご縁のあった方々の幸せを祈りながら静かに聖夜を過ごしたいと思います。

しかし世の中には、今この瞬間も苦しく悲しい思いをされている方もいらっしゃることでしょう。クリスマスを祝うどころではないかもしれません。そんな誰にも相談できずに一人でじっと耐えている方にこの話を贈ります。

ある男が夢を見ました。夢の中で男は主イエスと二人で並んで歩いていました。男が後ろを振り返ると、これまでの道のりには、主イエスと自分の二組の足跡が記されていました。ところが、所々、足跡が一組しかない場所があります。男は思いました。

「そういえば、その場所は私が苦しんでいた時だ。
私が苦しんでいた時に限って一組しかない」。
そこで男は傍らのイエスに尋ねます。
「どうして私があなたを一番必要とした時に、
私からお離れになったのですか」。
イエスがお答えになりました。
「いとしい我が子よ。
私は片時もお前の側を離れたことはない。
お前が見た一組の足跡は、私のもの。
私はその時、お前を背負っていたのだ」

苦しい時、背負われていることを実感できないとしたら、それは悲しいことです。なぜなら、その人は苦しみに中にいてもなお自分のことしか関心がないからです。この話の男のように、一組の足跡を見て、自分の足跡だと思い込むところに苦しみは隠れています。クリスマスは、心を愛で満たす日です。独りぼっちを嘆くのではなく、これまでどれだけ多くの人に支えてもらって来たか、また今は誰に支えてもらっているかを心静かに考える日にしたいですね。

メリークリスマス!

八正道 その三【正語】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかもしれません。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方だからです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと最初の【正見】で教えています。

【正語(しょうご)】〜正しく話す〜
“言葉の暴力”と言うように、私たちは話す言葉によって多くの罪を犯します。怒りの言葉、怨みの言葉、妬みの言葉、批判の言葉、自画自賛の言葉、自己弁護の言葉。共通しているのは「自己中心性」です。自分の好み、都合、世界観で話しています。そこには相手を尊重、配慮する心はありません。結果として、人に不快な思いをさせますから、人間関係は壊れていきます。そこに苦しみが生じるのです。正語は、これらとは逆です。相手が喜ぶような、幸せな気持ちになるような言葉です。それは「ありがとう」の一言かもしれませんし、たんに「おはよう」の挨拶かもしれません。「私はあなたのことを決して忘れていません。いつも気にかけています」という気持ちが込められた言葉です。優しい言葉ばかりではありません。相手を思うからこその厳しい言葉もあります。人は、自分に心を寄せてくれる人にのみ関心を示すものです。正語が善良な人間関係を築くことでしょう。

めいちゃん

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大分別院でひっそりと暮らすめい(命)ちゃん。とてもシャイな性格で、部屋からは決して出ようとしません。机で作業をしていると、小さな顔をスリスリ寄せてきます。「ミャ〜」と自己主張することはなく、ただ控えめに「ミン」となきます。古参和尚の良き友です。

『修証義』 第24節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200-1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめ、仏さまの教えを易しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
同事(どうじ)とは、自分に背かず、人にも背かないということです。それは、お釈迦様が自ら進んで人々の暮らしに入って行ったようにです。またある時は、人々をこちらに引き寄せてから、法によって正しい生き方へと導くこともあったでしょう。自分からか、または人からか、同事の前に区別はありません。海が川の水を拒まないのは同事です。〔海は川の水をすべて飲み込みます。そして川の水をことごとく海水に変えてしまうのです。海は海の心を保ったまま、海としての徳をあらゆる生命に与えます〕。だからこそ海にすべての水が集まるのです。

【法話】
水は容れ物の形にあわせて四角にも丸に形を変えます。これが相手に背かないということです。しかし水はどのように形を変えたとしても、その水面は必ず水平を保っています。自分の核となる部分は決して変わらない、これが自分に背かないということです。この水のあり方が同事です。では私たち人間の核とは何でしょうか。それは「何にも偏(かたよ)らない心」です。別の言い方をすれば、「執着しない心」「平等」と言ってもいいでしょう。ところが世間では、偏ることが堂々とまかり通っています。そして、その偏りがすべての苦しみの原因だと誰も気が付きません。もし宗教や思想に偏れば、反対の立場をとる人々が必ず現れて敵対関係を生みます。もし愛に偏れば、それを失う不安や苦しみと同時に他者への差別の心を生みます。同事とは、私も彼も、これもあれも差別しない心です。私たちは皆個性の違う一滴の水です。そんな私たちを海は平等の徳で漏らさず受け入れています。これが同事の姿なのです。

八正道 その二【正思惟】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかもしれません。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方だからです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと最初の【正見】で教えています。

【正思惟(しょうしゆい)】〜正しく決意する〜
私たちは「原因があって、結果がある」という因果の法則の中で生きています。何もないところから突如として結果が現れることはありません。「幸せになりたい」と最初に思うからこそ、幸せになる努力を惜しまず、結果として幸せを手に入れるのです。もしあなたが苦しみのない人生を望むなら、その結果へと導く原因を最初に作らなければなりません。それが「正しい決意」です。では、何を決意するのでしょう。苦しみを生むのはいつもエゴです。自分の幸せだけを優先して、他人の幸せには無関心なのがエゴです。だから今の苦しみがあるのです。それならば、これと反対のことをすれば苦しみはなくなります。つまり「自分の幸せを後回しにして、他人の幸せに関心を寄せる」ということです。これが正しい決意です。

ゆふちゃん

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会津本山にいるただ一匹の猫、ゆふちゃんです。ゆふちゃんは人見知りで出不精。奥の部屋でひっそりと気ままに暮らしています。時々、仏殿を一回りして、小さな声で「ニャン」。しかし天井裏のネズミを撃退するほどの迫力は全然ないのでした(泣)。今日も一日ストーブの上でリラ~ックス。

八正道 その一【正見】

八正道(はっしょうどう)は、お釈迦様が最初期に説いた「苦しみを止滅させるための八つの方法」です。「正しい道」とは、本来「さとりの智慧を得る方法」という意味ですが、今は「他人を幸せへと導く方法」と理解する方が分かりやすいかと思います。利他の生き方こそ、苦しみから解放されて自らを利する生き方なのです。正しくあるためには「自分の思い通りにしたい」という自己中心的な考えや態度、つまりエゴを減らす努力が大切だと【正見】は教えています。すべては【正見】から始まります。

【正見(しょうけん)】〜正しく見る〜
苦しい時は、その苦しみの原因を正しく見ます。すべての苦しみは「自分の思い通りにしたいのに、そうはならない」ことへの怒りの心から生じます。つまり、自己中心的な欲求が原因です。苦しみが生じたとき、それを引き起こしているのは自分自身だと冷静に観察するのです。しかし、例えば、大切な人を病気で亡くした時に抱く苦しみは、自分で引き起こした苦しみと言えるでしょうか。一見すると、原因を作ったのは病気であり、自分ではないと思うかもしれません。しかし、これも、よく観察すれば分かることです。病気が原因であることに間違いはありませんが、もっと直接の原因は「いつまでも側にいて欲しかったのに、そうはならなかった」という失望です。そしてこの失望もエゴの一つなのです。私たちは、外に原因を探すことに慣れすぎていて、最も身近な自分の心を観察できていないのです。正見とは、苦しみが生じたときに、その根本の原因は自分のエゴにあると観察することです。

四つの真理

お釈迦様が悟りをお開きになってから、初めてお説きになった教えが「四つの真理」です。これを「四諦(したい)」と呼んでいます。仏教の根幹をなす教えです。

【第一の真理】
人の一生は苦しみの連続である。

【第二の真理】
苦しみの原因は「思い通りにしようとする心」である。

【第三の真理】
苦しみは止滅できる。

【第四の真理】
苦しみを止滅する方法は「八つの正しい道」である。