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『修証義』 第13節

「しゅしょうぎ」は、道元(どうげん:1200-1253)禅師のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて「仏さまの教えとは何か」を解説しています。
皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業はわたくしのライフワークになりつつあります。わたくしの等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いに存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
http://shounji.or.jp

【第13節 現代語訳】
三宝に帰依するとは、信心を清らかに保ちながら合掌し頭を下げて、声に出して次のように唱えることです。「南無帰依仏(なむきえぶつ)、南無帰依法(なむきえほう)、南無帰依僧(なむきえそう)」と。仏(お釈迦様)は、たくさんの師の中でも第一の師であるから帰依するのです。法は、人間の苦しみを癒やす良薬であるから帰依するのです。僧は、ともに切磋琢磨し助け合えるすぐれた仲間であるから帰依するのです。仏弟子になるためには、必ず三宝に帰依しなければなりません。そしてこれを戒律として師から授からなければなりません。これを「三帰戒」といいます。他の戒律を授かるにしても、必ず「三帰戒」を授かるのが先です。なぜなら「三帰戒」の持つ目に見えない力があなたを助けてくれるからです。このお助けによって他の戒律を実践することができるのです。

【用語解説】 三宝(さんぼう)に帰依(きえ)する
三宝とは、仏教における三つの宝です。お釈迦様ご本人と、お釈迦様の説く教えと、その教えを守り継ぐ仏弟子のことです。これを「仏法僧(ぶっぽうそう)」と言います。帰依とは、必ずしも特定教団への入信を意味するのではなく、心から敬いこれを生涯の頼りとすることを言います。

問い:最愛のペットを亡くしました。悲しくてたまりません。

答え:今は泣けるだけ泣いてください。

子供の頃、私の家には吹雪(ふぶき)という名の犬がいました。私と吹雪はとても仲良しで、家族もうらやむほどでした。吹雪は私との時間を一秒も無駄にしたくないという様子でいつも私のそばにいました。そんな吹雪を家族は「この子はどこか生き急いでいるね」と言うのでした。その言葉のとおり、吹雪は4歳でこの世を去りました。鼻にガンが見つかったのです。顔の半分が陥没し、痛みのせいで体をふるわせる吹雪。私がそばに寄ると、吐血しながらも起き上がろうとします。安楽死のための薬を投与された時、最後の力で頭を上げて私の顔をじっと見つめました。その時の吹雪の目を今も忘れません。私は毎日泣き続けました。当時「ペットロス」という言葉はまだありませんでしたが、私はその典型だったと思います。もう30年も前のことです。

しかし今は違います。吹雪のことを思うと穏やかな幸福感に包まれます。悲しみが消えたたわけではありませんが、私の中で悲しみと幸福がうまく同居しているのです。今なら分かります。一方を好んで一方を嫌うことなどできません。どちらも吹雪だからです。吹雪を丸ごと愛する心が一層強くなったことで悲しみを見直すことができるようになったのでしょう。

深い悲しみを癒すのは愛です。私が得た教訓は、吹雪のすべてをありのままに受け入れて愛することでした。やせ細った体も吹雪が流した血もわずか4年の命もすべてが吹雪の一部です。そう思える時、悲しみは悲しみでなくなります。私が勝手に「悲しみ」と決めつけていたのです。「すべては私の心しだい」。これが私の気づきです。少しでもお役に立てば幸いです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)

問い:ペットにもお葬式が必要ですか?

答え:それはあなたのお心しだいです。

お葬式は、亡くなった命が天国への道を歩むために最初にくぐる「門」だと思ってください。どこに向かえばいいのか迷っていた精霊(亡くなった命)が、お葬式によって、この正しい門を見つけることができるのです。そう考えれば、すべての命にとって、お葬式は必要ということになります。しかし、何より大切なのは、あなたの「ご供養をしてあげたい」という清らかな心です。

仏教では、動物も人間も同じ命と考えます。命は過去世・現世・来世の三世を永遠に生き、「生まれて死に、また生まれて死ぬ」を繰り返します。これを仏教の言葉で「輪廻転生:りんねてんしょう」と呼んでいます。この繰り返しの中で、たまたま動物として生まれ、たまたま人間として生まれただけと考えるのです。私たち人間も来世には動物に生まれ変わるかもしれませんし、ペットは人間に生まれ変わるかもしれません。荒唐無稽に聞えるかもしれませんね。大切なことは、私たちは皆同じ条件のもとで生きているということです。ですから、命の尊さに違いはなく、そこには差別はないのです。

人が亡くなった時は、誰でも当たり前のようにお葬式をします。動物だからという理由で命を軽んじていいわけがありません。他の命を軽んじるということは、自分の命を軽んじることでもあるのです。命を尊ぶ心は、人に対しても動物に対しても同じでありたいと存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)

問い:何をやってもうまく行きません。

答え:そんな自分を丸ごと愛しましょう。

失敗が続いたり、挫折をしてしまうと、自分のことが嫌いになることがあります。「こんな私は生きる価値がない」と思い詰めたりもします。おそらく多くの人が同じ経験をお持ちでしょう。私もそうです。特に器用でもなければ、利口でもない私は、努力することでしか人並みにはなれないと思っています。私なりに努力を重ねてはいますが、それでも心の片隅には、“努力してもカバーできない、どうしよもなく愚かな自分”というものを持っています。厄介なことから逃げたり、やるべきことを怠けたりする“分かってはいるけど、そうできない自分”です。そんなダメな自分を捨て去りたいと思いながら、けっこう楽しく一緒に暮らしているのです。

私は、そんなダメな自分も含めて丸ごと愛せる心を持ちたいと思っています。心理学者のカール・ロジャーズは、「人間には有機体として自己実現する力が自然に備わっている。有機体としての成長と可能性の実現を行うのは、人間そのものの性質であり、本能である」と言っています。人間は、どのような状況下でも成熟に向かって前進する力を本能的に持っているということ、うまく行っても行かなくても、成功しても失敗しても、どんな状況に置かれても、私たちは必ずそれらを自分の成熟に活かすことができるということです。その自己実現力を信じること、それが自分を愛するということです。逃げることも怠けることもあるけれど、決してそれだけでは終わらないものを持っているからこそ、自分を愛せるのです。

自分を愛することは、利己主義とは違います。利己主義の人は、いつも自分が中心でなければ気が済みません。中心にいる自分なら愛せますが、脇にそれた自分は愛せないのです。自分は縁の下の力持ちで、他人が中心になっているのをニコニコ笑って見ていられない人です。本当の意味で自分を愛せる人は、縁の下の力持ちで汗水流して働いて、うまく行かなくても報われなくても、そんな自分を少しもみじめに思わない人です。なぜかと言えば、どんなに苦しい仕事をしていようと、どんなに辛い立場にあろうと、それらは自分の本質とは無関係であり、自分が持つ自己実現力、成熟に向かって前進する力は微動だにしないことを知っているからです。

自己実現する力を信じる人は、自分を愛することできます。そして自分を愛せる人は、他人を愛することもできます。自分の愚かさを許せるあなただからこそ、他人の愚かさを許すことができるのです。何をやってもうまく行かない自分を愛してください。成熟に向かって前進する力を信じてください。逃げても、怠けても良いのです。しばらくは静かにしていましょう。気持ちが十分落ち着いたら、少しずつでも良いですから歩き出してください。それが自分を信じること、自分を愛することです。結果は必ず付いて来ます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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マッちゃん

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マッちゃん(マツ)は、いつでもどこでもマイペース。他のワンコと群れることもなく、いつも一人で自由にのんびりしています。朝食の時間になっても一人だけ帰ってこない徹底ぶり。ご飯よりも自由を愛する孤高のワンコです。長生きしてね、マッちゃん。

心のあり方

人は自分の未来について、あれこれと仏さまにお願いをします。しかし仏さまがあなたにお与えになるものは、あなたが「欲しいもの」ではなく、あなたに「必要なもの」です。仏さまはどんな時でもあなたの幸せを願っておられます。ですから、たとえあなたが望まなくても、あなたを幸せにするために、本当に必要なものをご自分の判断でお与えになるのです。それは必ずしも私たちにとって心地よいものとは限りません。

あなたが「お金持ちになりたい」と願っても、仏さまはあなたに貧しさをお与えになることがあります。それがあなたに必要だからです。あなたは貧しさの中から清らかな愛を得ることができます。「成功したい」と願っても、失敗をお与えになるかもしれません。しかし、失敗の中から謙虚を得ることができます。「仲間がほしい」と願っても、孤独をお与えになるかもしれません。それでも、孤独の中から己を信じる心を得ることができます。清らかな愛・謙虚・己を信じる心は、すべて幸せの種です。あなたを本当の幸福に導きます。

たとえあなたの目には苦しい試練に映ったとしても、その中には、仏さまの慈悲の心が必ず込められています。あなたの人生の幸不幸は、目の前の試練に幸せの種を見出せるかどうかにかかっています。すべては、あなたの心のあり方しだいです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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身のほどを知る

人の欠点が気になることがあります。それによって腹を立てたり、思い上がったりします。昔の言葉に「他人の目の中にあるおが屑(くず)はよく見えるのに、自分の目の中にある丸太には気づかない」とあります。これは、わたしやあなたに限ったことではなく、いわば人類共通の悪い性質と言えます。行き着くところは、争いと差別の世界です。一刻も早く、そこから抜け出てください。

ブッダは「他人のすること、しないことを見てはいけません。自分のすること、しないことを見なさい」と説かれました。人を裁けば、あなたも必ず裁かれます。そもそも私たちは、すでに家族、友人、隣人、部下と上司、神さまと仏さまから大目に見てもらっている身なのです。自分はたくさんの事を大目に見てもらっているのに、他人のささいな事を大目に見ないとはどうしたことでしょう。人の欠点が気になる時は、身のほどを知ることも大切です。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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『修証義』 第12節

「しゅしょうぎ」は、道元(どうげん:1200-1253)禅師のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて「仏さまの教えとは何か」を解説しています。
皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業はわたくしのライフワークになりつつあります。わたくしの等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いに存じます。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)
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【第12節 現代語訳】
残念なことですが、世間には、「三宝」の名すら聞いたことがないという人々も多いのです。そういう人々は、自分の手に負えないような苦しいことが起こると、占いを信じたり、神に頼ったりします。そのようなことをしても問題の解決にはなりません。一刻も早く、仏法僧の三宝を敬い、これを頼りとしなさい。人間の諸々の苦しみを除くための現実的で具体的な方法を教えてくれるのは三宝だけです。そして最後には、何ものにも脅かされない心の平安を得ることができるのです。

【用語解説】 三宝(さんぼう)
三宝とは、仏教における三つの宝です。お釈迦様ご本人と、お釈迦様の説く教えと、その教えを守り継ぐ仏弟子のことです。これを「仏法僧(ぶっぽうそう)」といいます。

お彼岸

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彼岸の入りに合わせるかのようにして、仏殿前の彼岸花が咲きました。清楚で可憐という感じの花ではありませんが、どことなく哀愁を帯びていて、亡き人の面影を映しているようです。花の少ないこの時期の正雲寺では、皆が楽しみにしています。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)

問い:泣きたいときは?

答え:思いきり泣いてください。

苦しい時には、思いきり苦しんでください。悲しい時には、思いきり悲しんでください。泣きたい時には、思いきり泣いてください。仏さまに向かって、心にもないきれいごとを並べ立てるより、あなたの本心を打ち明けてください。存分に泣きごとや恨みごとを言ったらいいのです。仏さまは、あなたの弱い心、あなたの幼い心、あなたの悪い心は全部お見通しです。お見通しの上で、全部引き受けてくださっています。仏さまは、私たちの不完全な心を許してくださいます。私たちが、不完全ゆえに自分で招いてしまう試練の後始末をいつもしてくださいます。その試練を乗り越えるだけの力を私たちにお授けになることで。ご冥助(みょうじょ:目に見えない仏さまの助け)を信じることです。

正雲寺副住職 無聖(むしょう)