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護法山正雲寺 会津本山 > 最新情報 > 2017年

問い:どうしても汚い言葉を吐いてしまいます。

答え:手を合わせて祈ってみましょう。

私たちの人生には、苦しいこと、悲しいこと、腹の立つことがたくさんあります。その一つ一つは、「私」という人間を強く鍛(きた)えあげる試練でもあります。しかし、そのように前向きに考えられず、原因を作った人に対して怒りに打ち震え、怨(うら)みの心をつのらせることもあるでしょう。人は「善良であろう」「美しくあろう」と願っても、思い通りにならない時もあります。そうした自分の心の弱さに光を当てられる人でありたいと思います。そして、怒りや怨みを言葉にするのではなく、微笑みを返せる人でありたいと思います。起きてしまった試練を無かったことにすることはできません。相手の仕打ちを怨み、不運を嘆いても、「私」が幸せになるわけではないのです。このような時、私は、試練を試練として受け入れられず、嘆くばかりの自分のことを「私は弱い人間です。乗り越える力がありません」と認た上で、「怨みの言葉ではなく、微笑みだけを返せる力を私にお授けください」と仏さまに繰り返し祈り求めます。祈りには不思議な力があります。自分の頭で考えることは大切です。しかし時には神仏に祈り、身をゆだねることも大切です。目には見えないものの中にも真実があることを忘れないでください。

問い:やりたい仕事が見つかりません。

答え:仕事の中味より、もっと大切なことがあります。

時々、高校生から相談を受けることがあります。2年生にもなると、急に大学受験や職業訓練といった選択を大人たちから迫られて、これまでの人生で経験したことのない緊張感を味わうようです。これも心を強くする試練の一つなわけで、「大いに悩みなさい」などと助言にもならない助言をするわけですが、内心では「こんな大きな選択を迫られて気の毒なことだ」と同情したくなります。自分が高校生だった頃の情けない姿はすっかり棚にあげて、とりすまして説教する自分を可笑しく思います。それでもわざわざ来てくれたのですから、少しは励みになることをと願い、次の言葉を贈っています。

「人生で大切なのは、どんな仕事をするかじゃない。どれほど人に必要とされるかだよ」 萩本欽一(きんちゃん)

「大きな事業を成し遂げたいとは思いません。私の関心は、小さなことにどれだけの愛を注げるかです」 マザーテレサ

さすが、きんちゃんですね。ひとかどの人物の言葉です。おそらくは、お釈迦さまも同じことをおっしゃるのではないでしょうか。人生には希望どおりに行かないことがたくさんあります。自分では望んでいない仕事、立場にあることもあります。しかしそんな時でも心を支えてくれるのは、「私は必要とされている」という思いです。極端な言い方かもしれませんが、どんな仕事でも良いのです。その場所、その環境で、人から必要とされる人になってください。

そして、人に「あなたが必要です」と言ってもらえるようになる秘訣は、マザーテレサがおっしゃるように、小さなことにどれだけあなたの真心を込められるかです。たとえあなたが望まない仕事でも、文句を言わずにニコニコしてやり遂げられるかです。その姿は人に安心を与えます。そしてそれは、遅かれ早かれ、あなたへの信頼に変わります。気が付けば、あなたは特別な存在となっているのです。

若いあなたには、まだピンとこないかもしれませんね。でもこれは、多くの大人たちが皆同じように実感していることです。今、難しい選択を迫られたあなたが間違った判断をしたとしても、本当はそれほど大したことではないのです。少しも深刻ではありません。挫折をしたり、遠回りをしたとしてもまったく問題ありません。しかしどんなに最低な状況でも、「必要とされる人」になる努力は続けてください。お父さんとお母さんに必要とされる自分であってください。兄弟姉妹に必要とされる自分であってください。友だちに必要とされる自分であってください。そのための努力を続けてください。

こんな話ができるのも、私自身が実感しているからです。私はお坊さんになるまでに、たくさんの遠回りをしてきました。間違った選択もしました。今でも「お坊さん」を名乗る資格があるのかと自問します。それでも私が楽しく生きていられるのは、「人に必要とされている」と実感があるからです。これさえあれば、他には何もいらないとさえ思えます。それほど大切なものなのです。

これが私の「贈る言葉」です。やりたくない仕事の中でも、人から必要とされる自分になることはできます。やりたくなかった仕事なのに、気が付けば好きになっていることもあります。不思議なことですが、これが人生の醍醐味というものでしょう。人生の機微をご存知の大人の皆さま、子供たちをあまり追いつめないでください。進学させること、手に職をつけさせることも大切ですが、もっと大切なのは「どうすれば幸せを実感しながら生きていけるか」について、子供たちに本当のことを伝えることです。「子供だから」と軽んじないで、本当のことを真正面から伝えてください。そして「どんなに失敗しても、それをプラスに変えられる力があなたにはちゃんと備わっているんだよ」と信じさせてあげてください。

『修証義』 第18節

「しゅしょうぎ」は、道元禅師(1200-1253)のお言葉を集めて作られた曹洞宗の基本聖典です。仏教の要点を全31節にまとめて、仏さまの教えを優しく解説しています。皆さまに仏教とのご縁を深めていただきたいと願い、古文形の『修証義』を現代語に翻訳しました。卒業論文で初めて試みて以来、この作業は私のライフワークになりつつあります。私の等身大の『修証義』としてご覧いただければ幸いです。

【現代語訳】
菩提心(ぼだいしん)を起こすとは、自分が仏になるより先に一切衆生を仏にしようと誓願し、実際にそのように生きることです。たとえ在家者であろうと出家者であろうと、苦しい状態にあろうと楽しい状態にあろうと、置かれた状況に関係なく、一日も早く「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」の心を起こすのがよいのです。

【ミニ法話】
まったくの偶然ですが、新年最初の『修証義』がこの節であることを嬉しく思います。 年の初めは、誰にとっても誓いを立てやすいもの。最初の誓いは、是非この「自末得度先度他」であってほしいと思います。これは平たく言えば、自分の利益よりも人の利益を優先するということです。自分の楽しみや喜びはひとまず後回しにして、人の楽しみや喜びのために努力することを言います。だからと言って自分が損をすることはありません。後の節でも出てきますが、結局はそれが自分の幸せに直結するのです。そしてこの誓いは、何か特別な才能を持った人に限るのではなく、年齢も性別も地位も関係なく誰でも持つことができるのです。

問い:人生で一番苦しいことは何ですか。

答え:それは耐えることです。

お釈迦様は「耐えることは最大の苦行である」とおっしゃっています。私たちが耐える痛みの中には、肉体的なものや精神的なものがありますが、多くは私たち自身にその原因があります。しかしこれとは違って、他人に起因する痛みもあります。あなたの大切な人が他人によって蔑(さげす)まされたり、傷つけられたりした時に感じる痛みがそうです。時には自分が受けた以上に痛みを感じることがあります。私は子供の頃、友達に「お前の母ちゃん、でーべーそ」と言われて、顔を真っ赤にして怒ったことがあります。きっと皆さんも似た経験をお持ちでしょう。これは可愛らしい例ですが、子供の頃のこうした感情は、大人になってもなくなりません。人間には、大切なものを守ろうとする“保護本能”があるからです。保護本能は、その人に自制する力がない時には、憎しみや怒りに火を点けて収拾のつかない争いへと発展することがあります。だからこそ、どのような理由があっても、人が大切にしているものを蔑(さげす)んだり傷つけてはならないのです。

しかし現実には、傷つける人は多く、傷つけられることはまことに多いのです。お釈迦様は、目の前で自分の一族が虐殺されるという経験をなさいました。その悲しみ、怒りはどれほどだったでしょう。お釈迦様はそれでも耐えられました。「怨みを捨ててこそ、怨みは止む」という真理の言葉をご自分の血肉とするまで、どれほど苦しまれたことでしょう。そんなお釈迦様だからこそ「耐えることは最大の苦行である」とおっしゃったのだと思います。

仏教は、殻に閉じこもって一人で悶々と耐えるのではなく、人に優しい言葉をかけたり、人の為になることを積極的にしながら、善い生活習慣の中で耐え続けなさいと説きます。ただ耐えるだけではなく、間違った方向へ向かわないように、それ以上の努力を求めているのです。これを“精進”と呼び、この精進の先に本当の幸せがあると教えます。人から見れば“泣き寝入り”と映ったり、“弱腰”に見えるかもしれません。しかし心の内では、「悪心に染まらないように注意深く自制しながら耐える」という非常に困難なことに挑んでいるのです。真の勇者でなければできないことです。

すべての人が勇者であってほしいと思います。しかし人は弱くて脆(もろ)いのです。勇者がいつも勇敢とは限りません。耐え続ける内に、ひねくれたり、離反したり、復讐心を持つこともあります。人が大切にしているものは、物であれ、人であれ、信仰であれ、誇りであれ、尊厳であれ、決して傷つけてはなりません。